コードを舐める日々

わからないことがわからないことをしる日々

Firefox3は1日で834万ダウンロード!、他

Firefox 3のダウンロード数、リリース後24時間で800万を突破|Webブラウザ|トピックス|Computerworld
その数字は驚異的。
でも、現在の時間でもう1000万突破した模様。
Firefox2の時は160万件だったそう。
それを考えると、今ものすごくFirefoxに注目が集まられていることが分かる。
アドオンも3に合わせてバージョンアップリリースも早くなってきている。
2から使っていたものほぼ入れている。嬉しいことはない。
昨夜友人とチャットで話して気づいたことがある。
PCのブラウザ上をどの状態にしているかという話。
最初に開いたときに表示されるページは「Yahoo!Japan」か「Google」かという話。
でもどっかの統計でYahoo!Japanがはるかに多い。
私の推測だが、最初から調べる目的、見る目的をはっきりできていない癖がついてしまったからでなかろうか。
つまりWebが流行したころからポータルサイトのほとんどは自社サービス各リンク集、ニュースリンクをまとめたデザインだったからだ。
そういうサイトを訪れていくうちに本当に効率の良いネットの使い方を身につけられなくなってしまったのでないだろうかと推測する。
日本人は説明を受けて触るよりも、触って便利だ、これは使いやすい!という風にしか受けられないように感じた。
昔あるニュースでアメリカ人から見た日本人のイメージで「検索力が弱いのと、自分自身で物事を判断できる力がない」というのがあった。
そういう流れから見てもそういったポータルサイトがあってもやむえないかもしれないかなん。
逆にYahoo!Japanのポータルサイトに訪れていくことで無駄な時間を過ごしてしまいかねないことも自覚しにくい状況を作ってしまったのではないかなと。
あ、私はYahoo!Japanが嫌いではない。
なぜなら、最近「社会が取り巻くネットの在り方」について不安がある。
「ネット規制」やら、「タガーナイフの規制」やらいろいろ社会問題に対して解決方法の提起や悲劇の繰り返し阻止に励んでいる人たちの気持ちもわからないわけではない。
何か解決の仕方がおかしいのではないかなと。
様々な事件が起きてしまうきっかけはインターネットや武器などによる「道具」のせいにしてしまう社会の体質に違和感があると言いたいのだ。
逆に色んなことを「規制」してしまうことで本来の問題解決が見えなくなっている。
問題なのは「道具」でなく「人間」そのものだと。
「人間」を取り巻く環境自体が問題なのだと。
「人間」本質がしっかり判断できる力などを付けさせていく施策が先決じゃないかなと思う。
事件が起きたその本質に目を向けてなぜ起きつつあったのかをしっかりとニュース化にしてほしいと願っている。
「規制」という言葉自体、大人の都合のよい言葉使いであるように感じるのは私だけだろうか。